古くから神社の祭りは芸能の舞台であった。美浜町の神社でもさまざまな舞や踊りが演じられており、時代ごとに流行した芸能が奈良や京の都からもたらされたり、近隣地域から伝わってきたりなどして、民俗芸能として息づいている。
美浜町をはじめ若狭エリアの神社では平安末期から伝わる「王の舞」という神事芸能が行われている。今回は毎年5月11日に行われる織田(おりた)神社の例大祭を追った。
祭りに向けて身を清める
織田神社の例大祭は、東美浜エリアの佐田をはじめ、太田、山上の氏子集落たちにより1200年以上続いている。
美浜町内にある彌美神社に祀られていた神の分身を織田神社に移した時の行列の様子を再現したもので、「王の舞」「獅子舞」「ソッソ」という3つの舞を奉納することで五穀豊穣を願う。
祭礼の当日の朝は、神輿を担ぐ佐田区の男衆が海へ向かうところからはじまる。
華やかな襦袢に身を包んだ担ぎ手たちが海辺に到着すると、酒を飲み、海に入って身体を清めていく。
大鳥居に3つの集落が集結
織田神社の能楽殿には立派な神輿が鎮座していた。平成9年に新調されたもので、煌びやかな装飾が目をひく。古い神輿の時は担ぎ手が酒の勢いで神輿の屋根に乗ったり倒したりすることも多く、「暴れ神輿」と呼ばれていたそうだ。容易にひっくり返すことができないよう重量を上げ、今の神輿の重さはなんと1t以上に及ぶ。
神事が終わると、約300mもの参道を歩いて神輿を大鳥居のもとに運ぶ。先頭を歩くのは、今年「王の舞」を務める小学生の少年だ。
大鳥居に神輿を運ぶと、遠くから同じ氏子の山上集落・太田集落の代表者がやってきた。この祭りでは佐田集落が「王の舞」を、太田集落は「獅子舞」、山上集落は「ソッソ」を担当している。それぞれが集落で伝承しながら今日の日を迎えるのだ。
3つの集落の代表たちが大鳥居のもとへ一堂に会し、祝詞奏上。その後、神輿は元気な掛け声とともに地区を練り歩きながら神社をあとにした。
神輿が帰ってくるまで少し時間があるので、再び境内に戻り、子ども神輿や出店を楽しみながらしばし穏やかな時間を過ごすことにする。
神輿の帰還
約2時間後、再び神輿が神社に戻ってきた。
地区を練り歩く際、家々で景気付けに酒をふるまわれるため、どの男衆も顔が紅潮している。
力を振り絞って掛け声をあげ、神輿は大きな砂埃をあげながら境内を往来。周囲の観客が固唾を飲んで見守るなか、最後の石段を登り切り、神輿は無事拝殿へと奉納されていった。
少年による「王の舞」と
無病息災を願う「獅子舞」
神輿上げを終えると、舞台は能楽殿へ。華やかな衣装に鳥兜、濃い朱色の天狗面を被った王の舞が現れた。
織田神社の王の舞は子どもの舞。舞手は佐田区に住む小学生の男子が担当する。王の舞では舞手の父親が太鼓を、祖父(または親戚)が矛持ちを務め、1カ月ほど前から練習を始めるそうだ。少年の堂々とした姿に自信が垣間見える。
舞の時間は15分ほど。太鼓や「デンデンデン」「ヒーロイロイ」の掛け声に合わせて力強く床を強く踏み、立派に大役を務め上げていた。
続いて登場したのは、太田集落の男衆たちによる獅子舞。
ユーモラスな動きで、厄払いや無病息災を願って住民の頭を噛んでいく。喜んで頭を差し出す人もいれば、びっくりして泣き出してしまう子どもも。泣き笑いの大盛り上がりのまま最後の「ソッソ」に移っていく。
笑いが起こる「ソッソ」
ソッソは昔、織田神社の創建にあたり彌美神社から「そーっと」ご神体を迎えたとの言い伝えに基づく舞だ。
裃を着た山上集落の男性3名が手足を大きく上げながら能楽堂内を三回まわり、一列に正面を向いた後に扇子を広げ正面に立ち、順番に「ソー」、「ソニー」、「ソォー」と大声を出す。
たったこれだけの神事なのだが、観衆からのヤジが飛び交い、なかなか大声が出せない。
大きな笑いに包まれるなか、男性がそれぞれ「ソー」、「ソニー」、「ソォー」と叫び、祭礼の締めとなった。
熱気あり、笑いあり、手に汗握る場面あり。
今年も子どもから大人まで地域の団結を感じた熱い1日が終わった。