佐柿国吉エリア

戦国の世を駆け抜けた
若狭国の要所

SAGAKI KUNIYOSHI
area

美浜町の東側に位置する佐柿国吉。
越前国(えちぜんのくに)との
国境に接していた国吉城は
戦国時代には戦の重要な拠点として
敵の攻撃を防ぎ続けました。

難攻不落の堅城として名を馳せた後、
ふもとの城下町は宿場町として発展。
旧丹後街道を中心に町家が建ち並び、
各宗派の寺院が点在しています。

現在も町並みを歩くと、
鉤折れの道や高札場跡など
当時の面影を随所に見ることができます。

Story

Story 02.

佐柿国吉エリア2025.03.25

美浜の山に眠る
鉱山の記憶を辿って

「美浜の山の上には、鉱山だった名残があるんだよ」
ある時、そんな話を地域に住む人から聞いた。

美浜に鉱山があったことを知っているだろうか。

御嶽山(おたけやま)は標高548mの里山で、かつて耐火煉瓦の原料として使われた鉱物「青白珪石(あおじろけいせき)」の採掘が行われていたことから、地元では「珪石山」とも呼ばれている。1926年から1987年まで採鉱が続けられたこの山には、今もその痕跡が残っているそうだ。今回、その鉱山跡を訪ねて山を登ることにした。

戦国時代の要所だった御嶽山

舞鶴若狭自動車道・若狭美浜ICを降り、国道27号を美浜駅方面へ向かうとすぐに、左手に御嶽山が見えてくる。山の麓には戦国時代の山城・佐柿国吉城があった。この城は越前と若狭を結ぶ唯一の道「丹後街道」と椿峠を守る要衝で、織田信長に敵対していた朝倉義景が攻めたことでも知られている。
御嶽山を登るにはいくつかルートがあるが、今回は、新庄地区を流れる奥谷川沿いの登山口から山頂を目指すことにした。登山口の近くには、かつての養魚場があり、40年前までヤマメが育てられていたという。こけむした石垣が残り、かつての営みを静かに伝えている。

登る前にはルートの確認が大切

「渓流の里」ができるまでは、この場所でヤマメを育てていたという

登山口から頂上まで、約1時間弱のコース。
「若狭美浜トレイル」のテープを頼りに進んでいく。

うっそうとした木々の間を登っていく

勾配のある登山道を進むと、途中には「塩の道」と呼ばれる見晴らしの良い道が現れた。
かつて日本海で採れた塩を滋賀県へ運ぶために使われていたという。斜面には人々の往来の安全を願うものなのか、小さな祠が祀られていた。

また、道中には彌美神社ゆかりの「かみさまの木」とも呼ばれるリョウブの木もいくつか見られた。幹の一部は鹿が角を研いだ跡で削られ、野生の営みの痕跡が感じられる。

ひっそりと佇む「塩の道」の前の祠

リョウブの木。地元では「ヨボ」と呼ばれる

時間が止まったかのような鉱山跡

やがて道は再び急勾配となり、息を切らしながら登る。一直線に登るのではなく、ジグザグに進むと負担が少しやわらぐが、「こんな道がまだ続くのか…」と疲れもピークに。斜面を登りきり、平坦な道が開けると、鉄管や車輪といった珪石鉱山の遺物が現れた。特に目立つのが荒々しい天候に晒され、朽ち果てたトラック。荷台に芽吹いた野草や樹木が、時間の流れを感じさせる。

美浜の珪石鉱山とは

珪石鉱山の歴史は、1926年に兵庫県出身の加賀山信二氏がこの地で珪石鉱床を発見し、採掘を開始したことに始まる。1935年には三井鉱山(現在の三井金属鉱業)と加賀山氏が協力し、若狭珪石組合を設立。後に若狭珪石株式会社として事業を拡大した。

最盛期には約150人が従事し、年間約2万5千トンもの珪石を産出していたという。

採掘された珪石は耐火煉瓦の原料として、主に製鋼用平炉の築造に使われた。国内唯一の露天掘り炉材用珪石鉱山であった美浜の鉱山は、当時、東洋一の採掘量を誇り、日本の鉄鋼産業を支えた。初期の輸送手段は馬車によって浜へ運ばれ、船で北九州へ送られたそうだ。その後、1938年には東美浜駅付近に専用の引込線が敷設され、1.5kmに及ぶ索道で鉱石が運搬されるようになった。

滑車のようなものも見られる。トロッコや運搬用に使われていたのだろうか

この鉱山は美浜町の発展にも大きく寄与し、鉱夫たちが暮らす集落が形成された。学校や商店も賑わいを見せたが、鋼製造技術の進化に伴い平炉の需要が減少し、1987年に閉山。その際は採掘跡に苗木を植栽し、ヘリコプターで植物の種子を散布して、原状回復を図ったそうだ。

重機が行き交ったはずの場所には、過去を覆い隠すように落ち葉で埋めつくされていた

鉱山の記憶を今に伝える

この山がかつて日本一の珪石採掘量を誇った場所だったとは、今の静けさからは想像もつかない。しかし、ここで採れた珪石は日本の近代化を支え、鉄鋼産業を発展させる一翼を担っていたのだ。自然に還りつつある鉱山跡。採掘の名残が今もなおかつての活気を物語り、近代日本の産業の発展を支えたことを今日に伝えている。

珪石らしき石も点在

山を下りながら、かつてこの地で働いていた人々の姿を思い浮かべた。重機の音、削られる岩の感触、そして山を下るトロッコの振動。今は静かなこの山も、かつては人々の営みで満ちていたのだろう。

御嶽山の鉱山跡は、ただの廃鉱ではなく、歴史の一部として息づいている。山に残る遺構を目にしながら、その重みを感じる一日となった。

※トレイルコースは気象の影響によって大きく変動することがあります。ホームページや電話等で事前に現地の状況を確認し、入山届を提出するなど、自己責任にて慎重に検討、判断、行動するようにお願いします。また、鉱山跡は古いものが多く、崩れる危険性などがあるので、十分な注意を払う必要があります。マナーを守りながら見学しましょう。

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