敦賀半島の西側に位置し若狭湾に面した菅浜は、特有の文化が残る地域。毎年8月15日におこなわれる「精霊船送り」も、菅浜で継承されてきた伝統行事のひとつだ。
精霊船とは、初盆や盆の時期に故人を弔うために、お供え物を乗せて流す流し船のこと。行事自体は全国各地にあるが、菅浜の精霊船はその中でも最大とされ、福井県無形民俗文化財にも指定されている。
その起源は定かではないが、集落をあげて行う行事として、戦時中も中断されたことはなかったという。海の彼方の浄土へ船を送るという厚い信仰心によって今に続く伝統行事の1日を追った。
住民総出で準備を進める
船造り
8月15日朝9時。菅浜海水浴場に到着すると、海水浴を楽しむ人が多い中、すでに多くの男性たちが作業にあたっていた。
精霊船の準備は4カ月以上かけて行われる。5〜7月頃、各家庭で山や畑から茅や麦わらを刈って干し、2日間かけて船の骨格となる「胴丸」と「胴巻き」を作成。当日は船のパーツを浜で組み立てていく作業になる。
長い歴史をもつ精霊船だが、昭和10年頃までは北浜と南浜の2地区に分かれて1隻ずつ船を造り、沖に流す早さを競っていたそうだ。その勝敗によって漁や豊作の吉凶を占っていたが、人手や材料調達の難しさから戦後から1隻の造船となり、今に至る。
数人がかりで往復しながら胴丸と胴巻きを浜に運び、形を整えながら先端をシャチホコのように天に向けて船を固定していく。ベテランと思われるリーダーが指示を出しながらバランスを調整し、より安定した形になっていく。
若者もベテランもそれぞれが手際よく作業を進める中、時折笑い声が響き、楽しそうな様子。「お茶やアイスもあるで」と取材に訪れていた私たちにも声をかけてくれるなど、気さくな人柄が伝わってくる。
多種多様な紙飾りが船を彩る
船の組み立てが進むなか、浜の向かいにある「美浜町 海のくらし館」では、船につける飾りの準備が行われていた。
精霊船といえば、船を彩るカラフルな飾りが特徴だ。当日の作業は男性たちが行うが、飾り作りは1カ月前から地区の子どもと母親たちが作るのが慣習となっている。
壁には一面、折鶴や輪飾り、花輪などが並べられていた。透かし細工や細かい模様が入った切り紙細工もあり、手が込んでいる。これを装飾した竹の棒に一つひとつ手作業で取り付けていくのだ。
組み立てた船に飾りを取り付ける。折り紙や旗がついた竹の飾りを2本、最後にオレンジ色の吹き流しを船に刺し、最後に「精来丸」と書かれた帆を掲げると、いよいよ準備万端。朝から作業が始まり、時刻はすでに16時を過ぎていた。あとは出航を待つのみだ。
それぞれの思いを船に載せて
日が傾き始め、先ほどまで男衆だけだった浜には子どもや女性など地区の住民たちが集まってきた。紙に包んだお供え物を持って来て、船に結びつけていく。
18時。いよいよ精霊船を送り出す時間となった。精霊船は男達に押されながら海に出て、2艘の曳き船によって沖合まで曳かれていく。曳き船には「ウリオイ」と呼ばれる初盆を迎えた人々が乗り込み、精霊船を見送るのだ。
多くの人たちに見守られながら、ゆっくりゆっくりと海を進む精霊船。浜念仏を唱える女性たちの声とやさしい鈴の音が海に響き渡る。
黄金色に輝く夕日とともに進む精霊船の姿はなんとも幻想的だ。浜で見守る人たちもそれぞれに祈りと供養の気持ちを込めているのだろうか。ただ静かに船を見つめている姿が印象的だった。
船は入江を大きく3周したあと、外洋へ。夕日が水平線に沈むとともに、半島の先のほうでその姿は見えなくなっていった。
地域の人々が総出で協力しあい、完成する伝統行事が今日まで継続していることは、菅浜の人々の誇りになっている。先祖を供養する思いはこうして次の世代に受け継がれていく。