早瀬エリア

北前船の歴史が残る、
漁師と商人が共存した集落

HAYASE
area

久々子湖畔にある早瀬は、
漁村と町家の面影が残る集落です。

北前船の寄港地・船主集落として栄え、
江戸時代後期には脱穀用農具である
「千歯扱き(せんばこき)」の
生産地としても発展。
早瀬の千歯扱きは「若州早瀬せんば」と
呼ばれ、
全国に販路を拡大しました。

子供歌舞伎や水無月祭など
華やかな芸能や神事も多く、
信仰心のあつい土地柄を感じさせます。

Story

Story 02.

早瀬エリア2024.08.30

地域の絆をつなぐ
「子供歌舞伎」

150年以上、
脈々と受け継がれる伝統芸能

毎年5月3日、早瀬地区の日吉神社では山王祭礼が行われる。あでやかな衣装をまとった地区の小学生が、曳山(ひきやま)の上で「子供歌舞伎」を演じる。

そのはじまりは江戸時代後期のこと。1810年代、早瀬ではコレラが大流行し、多くの死者が出ていた。

村人たちが疫病を恐れる日々を過ごしているなか、集落の古刹・瑞林寺の住職の発案で山車を建造することに。1857年に早瀬の氏神が祀られる日吉神社に子供歌舞伎を奉納したところ、コレラの流行が収まったのだ。

それから150年以上にわたり脈々と受け継がれる子供歌舞伎は、町指定無形民俗文化財となっている。その舞台裏に迫った。

夜な夜な行われる稽古

4月中旬、夕方になると早瀬観光センターに地域の大人や体操服姿の小学生4人が続々と集まってきた。

小学生たちは学年も近く、放課後の延長のような和やかな雰囲気

地域ぐるみで子供歌舞伎を受け継いでいくため、三味線や囃子も地区の大人たちが担う

あどけない表情でくつろぐ子どもたちは今年の子供歌舞伎を舞う小学生たち。
役者となるのは小学2年〜5年生の男子と決まっており、当日を迎えるまで、稽古は3月下旬から週3日程度行われる。

浴衣に着替え、挨拶をして稽古がはじまる

三味線や鼓、拍子木に合わせて動作を一つずつ確認

広間には当日の舞台と同じ大きさの木枠が設置され、そのなかで練習する

子供歌舞伎の変遷

子供歌舞伎で演じるのは「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」。
翁(おきな)が天下泰平を祈念して厳かな舞を見せ、続いて「三番叟(さんばそう)」と呼ばれる二人の役者が五穀豊穣を祈り、軽快な鼓の調べに乗せて舞う躍動感あふれる演目だ。

「昔はたくさんの演目があったんですよ」と教えてくれたのは子供歌舞伎保存会の橋本愼一さん。

江戸期から大正期には「鎌倉三代記」「太閤記」「三勝半七」「梅忠」など、120余の台本から時代物・世話物・艶物を選んで上演していた。昭和に入り、芝居は2幕になり、昭和42年(1967年)ごろから、「寿式三番叟」のみが上演されるようになった。

「子どもの数が多くて、役が回ってこない子どももいたんです。歌舞伎の奉納は朝から行われ、町内を13、4箇所回っていくので、終わるのは日づけが変わる頃。曳山の上で寝てしまう子どももいましたね」

子供歌舞伎保存会の橋本さん

昭和30年代の子供歌舞伎。さまざまな演目が行われ、
男子が女形を演じることもあった

子どもたちの成長を見つめる
指導者の思い

子供歌舞伎の指導や囃子はすべて保存会の会員によって行われている。
子どもたちに踊りを教えるのは、子供歌舞伎保存会の栢野裕志(かやの・ゆうじ)さんと寺川効完(てらかわ・かずさだ)さん。

彼らもその昔、子供歌舞伎の舞台に立った経験がある。

栢野さん(右)と寺川さん(左)

「私たちの時代は県外の旅役者が毎年指導にあたっていました。厳しい人で、挨拶や礼儀など、人として大事なことも教えてもらいました」と語る栢野さん。

子どもたちの指導をするようになって15年以上経つ二人。子供歌舞伎を通して子どもたちの成長を見届けられるのが大きなやりがいだという。

「近所を歩いていると、『歌舞伎のおんちゃん』って声をかけてくれるんです。親でも学校の先生でもないつながりが生まれるのが嬉しいですよね」と寺川さんも微笑む。

「踊り方だけでなく挨拶や礼儀、靴の揃え方まで伝えています」と栢野さん

練習の後半は当日の衣装に模した着物や烏帽子を被って舞い、衣装の感覚を覚える

本番まであと少し。笑顔も出るなどまだまだリラックスした様子だ。

「毎年、ちゃんとできるかなと不安になるんですが、当日になると子どもたちの顔がキリッと変わるんです。本番を見に来ると驚くと思います」と寺川さん。

子どもたちにも本番を見に行くことを伝え、再会を約束した。

「当日は綺麗に翁を舞いたい!」と意気込みを語ってくれた

子どもたちが役者の顔へ。
子供歌舞伎の1日

5月3日、子供歌舞伎当日。
早朝6時前から子どもたちの着付けが始まった。
顔から首元にかけて白粉を塗り、目張りと唇に紅を差していくと、先ほどまでゲームに興じていた子どもたちが一気に役者の顔へと変化していく。

長年子供歌舞伎を担当している顔師が、手際よく着付けや化粧を進めていく

さまざまな化粧道具が並ぶ

手で擦(こす)って化粧が崩れないよう、
顔が痒くなったら爪楊枝を束ねた「つんつくつん」を顔に刺す

着付けも終わり、すっかり役者の顔に。準備万端!

衣装に着替えた役者たちは日吉神社を参拝。
地域の小中学生や青年たちによる太鼓が奉納され、うっそうと茂る静かな境内に途切れることなく太鼓の音が響き渡る。

打ち手が順番に太鼓を打つ。次第にテンポが速くなり、ボルテージが一気に上がる

いよいよ子供歌舞伎の舞台である曳山がやってきた。

「チョウサジャ」「ヤーン、ヨコジャ」
300mほど先にある瑞林寺横の山倉から出発した曳山は、進路を伝える独特の掛け声とともに、神社まで移動していく。

老若男女が綱を曳きながら移動させる

進路を変える時は大仕事。10人以上の大人が何tもある曳山を押していく

無事、日吉神社に山車が到着。大勢の観客が見守るなか、いよいよ子供歌舞伎が始まった。

ゆったりとした三味線とお囃子に合わせて金色の扇や鈴をかざし、舞や足拍子など切れのある動きを披露していく。
堂々とした舞と迫真の演技。練習での姿を見ているからか、彼らの凛々しい姿に思わず目頭が熱くなった。

見得を切ると見物客から大きな拍手がわき、一斉におひねりが投げ込まれた

その後、曳山はさだまさし原作の映画「サクラサク」のロケ地でもある瑞林寺に移動し、再び寿式三番叟を奉納。役目を果たし、舞台から降りた小学生たちは「暑かった〜」といつものあどけない表情へ戻っていった。

今回、子供歌舞伎を演じきった小学生たちは一体何を感じたのだろうか

舞台を演じる子どもたちがいる。彼らに伝え、見守る大人たちがいる。
150年以上続いてきた子供歌舞伎は時代とともにその形を変えてきたが、
地域の子どもから大人まで、世代を超えてひとつになる景色はこれからも変わることはないだろう。

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