漁村に伝わる豊漁祈願
若狭湾に面した日向は、漁業が盛んな集落。昔から豊漁を願う独自の文化や風習が残されている。「水中綱引き」は、そんな日向を代表する伝統行事のひとつだ。
水中綱引きが行われるようになったのは今から約360年前のこと。その昔、日向湖と若狭湾を繋ぐ運河に大蛇が出て川を塞いでしまったという。蛇は自分より大きいものを恐れる性質があることから、村人が藁で大きな綱を造り運河に張って防いだ言い伝えがあるそうだ。そこから縁起の良い綱に少しでも触れようと引き合ったことから、海上安全と豊漁を祈願する行事として今も脈々と集落で受け継がれている。
毎年1月には地元の青年たちが運河に飛び込み、東西に分かれて綱が切れるまで競い合う。年に一度の行事に全身全霊を捧げる若者たち。国選択無形民俗文化財にも認定され、各地から見物客が多く訪れるようになった。では、私たちもその1日をのぞいてみよう。
長床で編み上げる大綱
午前6時、まだ日向湖の湖畔は暗く静かだが、稲荷神社の“長床”と呼ばれる集会所ではすでに熱気が立ち込めていた。集落の男衆が集合し、この日使われる綱をいちから編んでいくのだ。
「よいやさー!よいやさー!やーさのどっこい!」
大きな掛け声と足踏みに合わせて4人がかりで藁を挿し込み回りながら編み上げる。直径30センチ、長さ約40メートルの大綱を編むのには3時間以上かかる。綱が簡単にほどけないようきつく締めるので、見た目以上に重労働だ。
水中綱引きは女人禁制の行事といわれているのでやや緊張しながら見学させてもらったが、張り詰めた雰囲気はなく男若衆は酒を飲んだり談笑したり、いたって和やかだった。今年初めて参加する男性には先輩が丁寧に教えるなど、その文化が脈々と受け継がれているのを感じる。
集落をあげて準備が進む
午前10時、編み上げた大綱を全員で抱えて神社から日向橋まで移動し、日向湖と日本海を結ぶ運河に渡された。日向の漁村の象徴である大漁旗が掲げられ、空に色とりどりの旗がはためく姿を見ると、一刻とその時が近づいているのを感じ、気持ちが高まっていく。
昼近くになると、にわかに周辺も活気づいてきた。運河の近くには集落の人たちによってうどんやブリ汁などの屋台が出ており、見物客は日向の味覚を味わいながら冷えた身体をあたためる。
コロナ禍などの影響で、見物客を伴って大々的に開催するのは4年ぶり。「やっぱ大勢の観客がおらんとこの行事は盛り上がらん」と集落の人たちの嬉しそうな顔が印象的だった。
極寒の運河に飛び込む男若衆たち
長床でも着々と準備が進んでいた。男若衆は色とりどりのハチマキとさらしの腹帯、白パンツ姿に着替え、その時を待つ。宇波西神社に参拝した漁協関係者たちが戻り一同が長床に集結すると、再び景気付けの酒盛りがスタートした。
「よっしゃいこかー!!」ここからは男若衆の覚悟が決まったタイミングで神社を飛び出していく。
神社から橋までは約100mほど。橋の上や両岸はすでに多くの見物客で埋まっており、男若衆が登場するのを今か今かと待ち侘びていた。
午後2時過ぎ、神社から男若衆が登場し橋の上に到着すると、沿道の盛り上がりは最高潮に。運河に飾られた大漁旗が強風で大きくなびく中、威勢の良い掛け声を上げて次々に運河に飛び込んでいく。
10数名の男若衆は東西両岸につながれた綱まで泳ぎ、冷たい水の中で「よいしょー!!」という掛け声とともに綱を引っ張る。綱引きというと両側から引っ張り合うのを想像するかもしれないが、正確には引きちぎるといった方が正しい。
時間にして10分ほど。綱が引きちぎられると大きな歓声があがり、綱は海の神に奉げるために外海に流されていった。
男若衆は寒さに身を震わせながら再び稲荷神社へ。お参りをし、米の奉納をもって熱気に包まれた水中綱引きは幕を閉じた。
360年以上にわたり海上安全と豊漁を願い身体を張る日向の男たち。人と自然が共存してきた歴史は伝統行事というかたちで現在に引き継がれ、次世代に紡がれている。